男らしさとは。

『男子劣化社会』の家父長制神話の項目pp.234で、男らしさに触れられていたが、まさしく自分のことではないかと思った。

男らしく、男として泣かず、感情を抑制して、強く生きることを学んだ結果、

今までの人生で、一度だって心を開いたことがない。

今後も開くことはできないだろう。

過去のいじめにより、小・中・高と長期間に渡って、暴力を振るわれ、暴言を吐かれた経験が、

心に深い傷をつくり、未だその傷は癒えず、ずっと引きずっている。

自身へのダメージが、NOと言うことを困難にしたり、自分の要求をはっきり表現できなかったりする。

男は強くなければならない。

男はしっかりしなくてはならない。

男は自分の力で問題を解決しなければならない。

男のプライドがあるから男は生きていけるが、同時に、

男のプライドがあるから、人を頼ることができない。

それは情けなくて、女々しくて、弱々しい、カスの行為だからだ。

人に頼る、相談するには、多くのものを乗り越えなくてはならない。

恐怖、しっかりしている思われたい願望、独立心、羞恥、

自分が弱いと思われること。

自分が弱いと思われることを容認することなど、

男のプライドがある限り出来るわけがない。かなり難しい。

男のプライドを失えば、生きる力さえも失いかねないように思える。

あえてこの言葉を使うが、男として、「女の腐った女」のような男に

身を甘んじたい男などいない。

女性が差別されているのと同じぐらい、男性も差別されているのではないか。

男らしく生きる。それは素晴らしいことであり、賞賛に値する。

だが、男が人に相談できず、弱みを見せられず、頼ることができない

社会を作り上げているのではないか。

ステレオタイプのマッチョ(イズム)に憧れ続ける男は多くいる。

男として強くありたい。

男として強くなければならない。

男として、金を稼ぎ、女と子どもを養い、女と子どもを守る。

男として、強きを挫き、弱きを助ける。

男として、頼られる存在である。

私自身、そんな男でありたいし、男らしく生きたい。

だが、社会の根底に根付く男らしさの呪縛は、男に重圧を課し、

弱みを見せられず、誰にも頼ることができず、一人で抱え込んで、苦しむ男たちを

生み出しているのではないか。

私自身、男らしさの呪縛に、良くも悪くも捕らわれている。

男らしくありたいというプライドがあるから努力できた、努力し責任を果たしたという

正の側面がある一方で、今までも、そしてこれからも、

社会の苦しみの中で、誰にも弱みを見せられず、誰にも相談できず、

頼ることができず、一人で抱え込んで苦しむことだろう。

相談して、頼って、と親しい人に言われても、弱みを打ち明けることはできないだろう。

現に、今なお強くあるために、筋トレに励んでいるのだから。

信じられるのは自分だけ。

男らしさの呪縛からは逃れられないのだ。

良くも悪くも。